They are just giving me.


名古屋を中心に経年優化するナチュラルガーデンの施工。

母猫 Neccoと知り合い、1年が過ぎた。いつも、縄張り争いに負け、護衛についても、追いかけられていた。幾人かの人間を彼女は受け入れ、好かれるようになった。寒い日や、嵐の日は正直なところ心配だった。この1年の間に彼女は私との約束通り、綺麗になり、何人かBFができ、子供を産んで、独りぼっちではなくなった。子猫を産んでから、惨敗だった縄張り争いは圧巻、彼女は寝床と飯係を手に入れた。命がけでのとっくみあい。子供を守るのに戦ったのは敵だけではなく、不安と恐怖もあったのかな…追っ払ったあと、怖かったと言わんばかり甘えてくる。
私の人生より先を行くものより、長く生きているものより、たった今を生きている小さな命からたくさんのことを教えてもらった。Neccoの最初の子供に自分がやっと手に入れた自分の場所を与え、一時はご飯だけを食べに帰って来ていたNecco. 二度目の出産を迎え、産まれてまだ半年もたたない子猫は、訳も分からないまま母猫に甘えれなくなり、私の一歩一歩についてくるようになった。置いて帰るのが刹那かった。ある日から、その子猫は1年前に車の下から拾われた女の子の猫と、生きものの視線から考える素敵な小学生と川の字で寝ることに。少し年上の女の子の猫と遊び、寝るという、ここにいるよりいいだろう家族に迎えられた。最後の最後まで悩みました。これで良かったのか。私にとってではなく、猫達にとって。彼らは、植物同様、生き抜くことしかインプットされていません。人間として、最低限その生き様を邪魔するべきではない。私もさらにこれからの不安やしがらみを恐れたとしても、これからの小さな命のように今をまっとうしようとスイッチが入れられた。