my place, my world...

植物との暮らし my botanical life

時の流れがとまっているような温室の中では、時の流れどころか、季節を閉じ込めたような。時間、分、秒...時間のはやさの単位をあわらしているように植物が育つ。

時計を見るより、植物の成長を見ている方が焦ってしまう季節もある。

景色は私にとって時を計るもの。

朝陽がさしこんできたらコーヒーを淹れましょう。太陽が南中したら少し休憩ね。葉っぱが散りはじめたら衣替えね。芽吹き出したらベッドリネンをかえましょう。日没に夕食を作りはじめましょう....

だから、景色を " 当たり前にある景色を意識してつくりこんでおく " のと、
" 無意識を当たり前にしてしまう " のとでは、私にとっては人生が大いに変わってしまう重要なこと。

そう、日常の通りすぎる景色、当たり前になる生活動線の景色、とても重要。なにをどう、当たり前にするかを考えて、つくる。

植物は当たり前にいてくれる。世話を当たり前にできるようにしたらよい。でも、在り難い存在だなということを、目覚める度、椅子に座る度、陽があたるのをみる度…感じる。

この引っ越しが終わったら、作り込みにスピードがでるだろう。頭の中には景色が出来上がっているの。でも相当、労力と時間がかかる。

でも、これが私の人生の最後の一歩。