Animal dropping or blub.

水耕栽培から土に植え替え

種や球根の姿は、小さい頃に見ただけでは動物の排泄物にしかみえない。親や誰かに教えてもらわなければ、きっと誰1人、魅了されることどころか、道端の石ころ以上に興味をもたなかっただろう。素敵だよね、種や球根はまるでダイヤモンドの原石。磨かなければ輝かないような。人間関係もそうね。咲くと信じなければ、本当の相手を知らないまま咲かないのかも。そしてきっと自身も本当の姿を知らないままで、本来咲くような花ではない花 ( 結果や相手との相性のようなもの )を咲かせてしまったりね。種や球根を植え、育てるということは、自分探求で必ずいつかは相手のためにもなること。動物の排泄物みたいものと花壇でそれを咲かせようとするあなた、というような感じ。最初から相手を糞にたとえているわけではない解読力をお持ちであることを願います。問題があるならば種や球根ではなく、ガーデナーである。ガーデナーは種や球根の健康状態を見極めたりもするけれど、健康なものなら花を咲かせる準備をし、天候とたたかい、苗がどうにかなったら、相手ではなく、まず自分のやり方に目をむける。人間関係も種や球根に腹をたてるのではなく、まず自分の接し方がたてまえやその場しのぎの嘘ではなかったかなど自分がどんな種で球根か探求しながらいったらどうかしら。違った種類の花同士が花壇に咲いていると、みんな興味を持つわよ。綺麗だから。そこに在るだけで。ガーデニングは哲学。私の人生哲学がつまっている。まだまだ、まだまだ、花壇のあちらこちらに読むところが…あぁ、植物や花っていいなぁ.....本当に。私に動物の糞ではなく、種というもの、球根というものがどんなものなのかを教えてくれてありがとう。ありがとうという言葉の意味と一緒に教えてくれてありがとう。親にいいたい礼はそこだ。