Consciousness.

人を想うと、考える。自覚について。いい歳になってくると、人は必ず、自分のことは自覚しているというけれど、そんなに若くして自分を自覚できるということは、そんなに浅い、薄い者なのか?と思う。

自覚したくない部分を自覚しているのか?それに対して努力あmでしている自分を自覚しているのか?

きっと一番自覚されていない部分は、自分がどれだけ愛されているか、想われているかということ。きっと自信過剰になることを恥じているのか卑下されているのか。私が恥ずかしく思うのは、謙虚なナルシストの過小評価。

なんで今日はこんなことをまた少し、回想したかというと...

数日前に私を訪ねてくれた彼女が自覚をしていないだろうということ。何を自覚していないかというと、私が今日も彼女にありがとうと感じていて、出会えて良かった、同性の友人としてとても好きであるということ。

当然、彼女にはたくさん彼女のことを愛している人はいる。でもここにも本当に想う私がいるということは、それほど大したことでは何ので自覚するまでもないのかもしれない。

ただ、私の場合、もし誰かがこのように私を想ってくれているなら、はっきり自覚して、そう想ってくれている人に恥じないよう生きたいと想う。

彼女が持って来てくれたプラム、私の今日をとっても甘い幸せを感じる1日にしてくれた。プラムの色、香り、味...五感からたくさんの幸せを感じた。

植物達は、みんな自分を自覚している。