Ta-dah ! Happy New Year .


世の中でいう2017年のうちに寝て、世の中でいう2018年に起きた。ここ数年私には、年を越す瞬間は寝て夢の中にいようという試みみたいなのがある。何かに対抗心を抱くような " 寝ていてやる、その時間帯 " みたいな感じ。何かはわからないけれど...なんとなく、年末年始だけきちんとする人々とは一緒にはなりたくないというような...そんな感覚かな。そこまでも考えないけれどそんな感じだろうなって。

若い頃は、勤めていた外国人バーで通勤ラッシュのように、バーから溢れているたくさんの外国人達にカクテルをつぎ、カウントダウンをしていた。キスをして片付けて仕事の終わりにカナダ人のボス達といっぱいやってプールバーへ行き、ビルの4階にあるのに名前がUnder Ground というクラブへ行き始発を待つという元旦の朝だった。懐かしい...

この1年は毎日が大晦日と新年を迎えるような日々だった。毎晩、寝ている間に今日から明日にかわるのが、この世間の大晦日という1日に振り返る364日のようなのが、私の1日の終わりだった。

Lady Chocolate と雌2頭で一年を振り返った。走馬灯のように。高い木に登ってレスキューがサーカスみたいだったこと、一緒に雨の中を走ったこと、川の水を飲んだこと、川を渡ったこと、リスや山鳥を追いかけたこと... 私が想い出していたのは Lady Chocoate が初めて体験した山の生活。もちろん...大晦日は 我らの雄、Hot Chocolat の姿を最後に見た、彼が冒険に出て行った日なのでとうとう1年経ってしまったという辛さが一層濃くなり痛い時間。

この辛いという言葉では表現できない状況の中、チョコレートのおかげで精一杯に今を生きることが、私にとってショコラが帰って来ると信じることになると一心不乱だった。気がつけば、テレビはもとより鏡がない生活だった。今までと違う、今を生きるということ、この小さな雌猫のチョコレートの背中を見よう見真似で全身全霊で追いかけた。
唯一の毛繕い相手、添い寝の相手、追いかけっこの相手ショコラに会えなくて一番辛いのはチョコレートだ。考えすぎでも、想いすぎでもない事実に違いない。

平気そうに見えるのは、そう見えるだけ。

昨日までで想い出すとうことは極力やめようと決心した。古い写真ですら捨てれなかった私、年末に一気に削除しまくったのは.... Mac OS High Sierra のせい。 色々と不具合を起こし、Apple サポートの人が、写真と音楽のファイルを遠隔操作で外付けHDに写し、何度も削除していいか聞かれた時に、ショコラやチョコレートは、思い出も経験も何もかも私のせいで置き去りにしざるおえなかったのに、精一杯生きることを強いられている。

全て記憶の中に納めた。そして私が振り返りたいのはショコラとチョコレートとのことだけ。そのほかのどんなことももう、頭の中だけで、想い出す理由がある時だけでいい。

目標を達成できる自信のおかげでワクワクが止まらなく、このままテンションがあがり続けると、空回りするか散らかってしまうので....落ち着いてスタート。